私が今のような健康オタクになったのは中学生のころです。
私が健康に関心を持ったきっかけはいくつかあります。
1つめは、自分の妹が聴力障害になったことです。
当時私は小学5年生、妹は小学1年生でした。
おたふく風邪のときに高熱がでなかったので、それが原因だと考えられます。
このとき、熱を下げることは免疫の働きによくないということを実感しました。
薬を飲むことに疑問をもつ始まりだったかもしれません。
このことをきっかけに、障害に関心を持つようになり、そこから人間の体に興味を持つようになりました。
当たり前のことが当たり前にできる自分の体ってすごい!と思います。
2つめは、中学生の頃、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」という本を読んだことがきっかけです。
本を読んで、身の回りのさまざまな化学物質による汚染や被害の実情を知りました。
そこから環境問題に関心を持つようになり、さらに自分の食べたり飲んだりするものに注意をするようになりました。
これが「健康オタク」への道の始まりでした。
中学生のころから何十年も自分の体に気をつかってきたのですから、私が健康なのは当然です。
だからといって病気を否定はしません。
病気という出来事によって、自分の体に関心を向け、食事や生活習慣を改善するようになれば、病気になったことには十分意味があると思います。
それは病気に限りません。
私たちの人生において、一見するとよくないと思える出来事は必ず起こります。
でも、この世に良い悪いはなく、その出来事をどうとらえるのか、その自分が存在するだけです。
妹が障害者になったことは、私のものの見方を大きく変えてくれました。
「みんな違ってみんないい」という考え方は、そのころから私の軸になっています。
私の学んできた「生物」の世界も、なんでもありの多様性の世界です。
だから、自分の娘の手足に少し麻痺があるとわかったときも、それを受け入れることができました。
そして、そのことにコンプレックスを持たずに、ありのままの自分を受け入れ、肯定するように育てることを心がけてきました。
これはほんの一例ですが、自分の人生に起こる出来事はすべて意味があると思っています。
良いも悪いもありません。
ただ現象が存在するだけで、それに意味づけをするのはあくまでも「自分」なのです。
むしろ、そういったネガティブな体験の中に、この世でのミッション(使命)や自分が生きる意味があると考えています。
私は、何かが起こったとき、いつも自分にこう問いかけています。
「宇宙はこのことで私に何を学ばせたいのか」と。
人生は魂を成長させる学び場です。
ぜひそのプロセスを楽しんでくださいね(^^)